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【働き方】労働者の価値は下がり続けるのか?

【働き方】労働者の価値は下がり続けるのか?

SOSEKIです。

つい先日、ZOZOの前澤社長が1億円お年玉キャンペーンを行いましたね。結果RT数が世界最高を更新したとか。個人的には面白いことするなあ、と思いながら横目で見ていました。(RTするも当たりませんでした…)

もちろんこういった思い切ったことには、賛否両論があると思います。ZOZOの件で田端さんとやりあってた藤田さんなんかが反対派の急先鋒といったところでしょうか。

このお年玉、そして藤田さんと田端さんのやりとりを通じて、労働者の未来について考えてみたいと思います。

稼ぐ資本家、貧困にあえぐ労働者の構図は変わらない

前澤氏が数十億円納税する一方、ZOZOの工場労働者が劣悪な環境で働かされている、こういったケースがある、という指摘があります。では、この構造は変わり得るのでしょうか。

個人的には、この構図は今のところ、しばらくは変わらないと思います。なぜならば、「労働力はグローバル化している」からです。

たとえば幕張のZOZOの倉庫が時給1000円だとしましょう。仮に他の企業の倉庫でも時給が1000円だとします。これを1100円にすることが、経営判断上プラスにならない限りは、ZOZOは他社に比べて時給を上げることはしません。時給を上げて、収益が悪化すれば、それは善管注意義務違反に当たりかねないからです。

経営者というのは、株主のために働く必要があります。そのため、「労働者の給与は抑えて、資本家に還元する」前澤氏は、投資家サイドからすれば優秀な経営者なわけです。現在の資本主義が続く以上、これが前提にあることを、労働者は意識すべきでしょう。

誰にでもできる仕事は給与が上がらない?の嘘

労働者の価値の中で、田端さんが、「誰にでもできる仕事は給与が上がらない」という旨の話を、警備員などを例にとってしています。それに対し、「警備員の仕事をなめるな」というような反論も多くでています。「誰にでもできる仕事は給与が上がらない」というのは本当でしょうか。私個人としては、概ね正しいが、一部誤解があると考えています。

労働における賃金決定モデルは、外部要因を抜きに考えると、「賃金=仕事における貢献度×総利益額×労働者への分配比率」であると考えます。仮に、分配比率が一定だとすると、仕事における貢献度と、総利益額という2つのドライバーが賃金を決定することになります。

ここで、仕事における貢献度について考えてみることにします。仕事における貢献度をはかる一つとして、KPI(Key Performance Indicator)というものがあります。端的にいうと、このKPIがどう設計されるかで、賃金が上がるかどうかが決定されるのではないでしょうか。

ちなみに、売上や利益額というのは、KGI(Key Goal Indicator)とKPIは明確にことなり、KPIはパフォーマンスにフォーカスした意味合いとして使っています。

たとえば、営業であれば、売上や利益そのものがKPIになります。つまり、総利益学のドライバーを最もわかりやすく上げることができるのです。こういった職種は、一般的にインセンティブという形で賃金が還元されることが多いです。

では、目に見えづらいKPIを持つ労働者というのは、賃金が上がりづらいのでしょうか。答えはNoです。目に見えづらいKPIを持つ人たちにとっての賃金要件とは、「組織全体にプラスの影響を与える仕組みを作れるかどうか」だと考えています。これを達成できるかどうかが、賃金が上がるかどうかに直結すべきだと考えています。

たとえば、システム部の人が、「システムを改善することで、組織全体の作業効率が10%良くなった。そのため、残業代が減った」というのは、貢献度が高い仕事として認められるでしょう。しかし、「システムの保守を他の人よりがんばってやった」というのは、非常に評価されづらい(なぜなら、再現性がなく、個人の努力に依拠しているため)と思っています。KPIが経営に直結しなければしないほど、全体への貢献度が問われるものだと思っています。また、この「組織全体にプラスの影響を与え続ける」人材こそが、代替不可能な人材として、市場価値があがっていくのです。

このロジックでいうと、倉庫の作業員は、役割として、組織全体の作業効率を求められてはいません。したがって、彼らは、賃金上昇ドライバーを何も持たないのです。そうすると、効率化の影響をもろに受けることになります。たとえば、10人でできていた仕事が、効率化によって、10%改善されたとしましょう。そうすれば、そういう仕事を作った人に正統な報酬を払うために、効率化された人たちの総賃金を下げなければいけません。(それが1人解雇するか、全体の給与を10%下げるかというのは、企業の判断にゆだねられる形になります。)

つまり、作業の効率化が進めば進むほど、ただ作業を求められる労働者の価値は下がっていくのです。これは日本だろうが、アメリカだろうが原則は変わりません。この前提を無視して、労働者の賃上げを叫んでも、個人的には意味はあまりないと思っています。

1個人として思う、これからの労働者の在り方

では、これから、労働者はどのように生きていくべきでしょうか。

端的には、

・売上や利益に直結する仕事に移る

・全体の効率性を考えれる仕事に移る

・ビジネスオーナー、資本家サイドに移る

のどれかしかないのかなあ、と感じています。企業が効率化に向かう以上、単純労働者の総賃金は下がり続けるため、そのカテゴリから抜け出すこと(または他の手段を手に入れること)が、唯一の方法だと思います。(もちろん国や自治体に対する富の再分配精度の改善を訴えることも重要だと思いますが)

私個人は今は営業にいます。しかし、営業もいつの間にか、効率化により総賃金が下がる時代になるかもしれません。そういった時に備えて、ビジネスオーナーであり、投資家であることは非常に重要だと考えています。

副業社会というのは、単純労働の終焉を表しているともいえるでしょう。こんな時代に生きたことを幸せと思えるか、不幸だと思うかは個人次第ですが、せっかくだから、私は自分の市場価値をあげるために、単純労働からは早く脱却していきたいと思います。

※本記事は、前澤氏の行動を称賛するわけでも、藤田氏の行動を批判するものではありません。ただ、21世紀における労働者の位置づけについて考察するものになります。

 

それではごきげんよう。

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